亀戸の昔話
【亀戸は江戸の東の行楽地】
亀戸は江戸時代から人気、賑わいの名所でした。一面に田畑のひろがる江戸の郊外に学問の神様として親しまれている天神さま。
その天神さまの境内は梅や藤そして萩の花の名所。梅といえば近くに梅屋敷、萩といえば萩寺として名高い龍眼寺などとにかく名所がかたまっています。ですから江戸の町民たちにとって亀戸は江戸の東の行楽地だったのです。亀戸の天神さまは九州太宰府の天満宮からご神像を勧請したといわれ、社殿なども太宰府を模したことからより一層江戸の町民たちの信仰を集めたようです。社前の心字池にかかる大小二つの太鼓橋と池の周囲の藤の花は、とりわけ名高い亀戸天神の名物でした。
また梅屋敷の臥竜梅は梅の枝が下って地中に埋まり、また地表に出て竜が臥するような形に見えるところからその名がつけられました。名づけの親は「この紋所が目に入らぬか!」ご存知水戸の黄門さま事、徳川光圀でした。8代将軍徳川吉宗もこの臥竜梅を鑑賞しています。享保9年(1724年)のことです。
ちなみにこの梅屋敷は江戸時代のはじめ、伊勢屋彦右衛門という人が作った梅林・梅のお屋敷なのです。安藤広重の「亀戸梅屋敷」という作品は前(全面)に臥竜梅、遠くに梅見に来た人たちが描かれ大胆な構図に目を引きつけられます。
まさに亀戸はお殿様から庶民まで、文人墨客から熊さん八さんにまで親しまれた人気スポットでした。